GPZ1100
Eleven-kaiの礎となったマシン 中免取得から11年目、MAJPは中免時代に憧れていたCB1100Fを手に入れるため情報収集をはじめた。AJO(東大阪)や遠くは名古屋(雑誌の広告に載っていた)まで、現物を確認に行ったりした。USCBさんありがとう。 そんな中、某クレジット会社から、舞洲でバイクのイベントが行われるとの案内が.... もしかすれば、CB1100Fが拝見できるかも(!)限定解除試験を予定?!していたXJRさんを誘っていくことにした。(XJR談:限定解除のことは頭にあったが、受験予定というレベルではなかった。事前審査の「センタースタンド掛け」がうまく出来るかどうかが不安だったので、一歩踏み出せずにいた。) イベントそのものは、バイクの縁日といった感じで、結構色んなバイクに触れることが出来た。来場者のバイクの中にはCB1100RD(RC?)があったのは驚いた。残念ながらCB1100Fは見かけなかった。...仕方がないか。 何と言っても、ここの目玉は「試乗会」。それは、自動二輪免許がありさえすれば免許の条件(当時、小型、中型、限定なしの3区分でした)に関係なく運転可能!超魅力的でした。その後、数多くバイクのイベントに参加したものの、そのほとんどが免許の種類や条件で試乗車が限定されていたのだから、舞洲のイベントは太っ腹だと言えるでしょう。 試乗で1番人気だったバイク-それこそ、GPZ1100(国内)だった。人気があったので、GPZの列に並ぶ。そして運転。実は、MAJP、XJR共に、人生ではじめてのover1,000ccのバイクだった。今でこそ言えるが、低速トルクがあって乗り易かった事が印象深い。これなら、「輸出仕様」だともっと凄いんじゃないかと思い、これもいいかなと思ったものでした。※「輸出仕様」はフルパワーが殆どだが、その反面、低速トルクがいまいち...実際乗るまでわからなかった。 (XJR談:ここまで見ているとMAJPさんはマトモな事を言っている様だがかなり違う!、俺は展示されていたXJR1200のセンタースタンドを掛けさせてもらったり、Z1000Pのセンタースタンドを掛けさせてもらったりと事前審査対策もやっていたが、MAJPさんは、試乗会の後、会場内でビールを飲んで、輪投げなんかして遊んでいただけじゃなかったか?) うるさいなー。上記「XJR談」は一部事実に反しています.....※MAJPは、XJRさんの運転する車に同乗して来場したのでした。(帰りも同じ)当然のことながらXJRさんは非アルコール飲料しか飲めませんでした。 そんなことより、ここでの経験がGPZ選択の大きな要素となった事は言うまでもない。(XJRさんにとってはXJR1200か?)後に、以前CB1100Fを所有していたCBRさんの話で、旧車は故障が多く、パーツは欠品、または価格が国内モデルに比べて割高だという話を聞いてCB1100Fを断念。GPZが最有力候補となった。 1996年1月頃、何気に立ち寄った某ショップの広告になんと、新車で75万円-オランダ仕様が出てるじゃーありませんか。値段につられて買ってしまった。納車後、直ちにXJRさん、USCBさん、FLSTFさん(=Eleven-kaiプロジェクトメンバーのほとんど)のための「限定解除練習用車輌」として活躍。6箇月後には全員合格しGPZの優秀性?が証明されたのでした。 GPZで行った所と言えば白浜、舞鶴、出石、三方五湖など、中でも、白浜の帰りの高速をぶっ通しで走り続けて足がしびれたことが今も忘れられません。重量がゆえに何度も立ちゴケをした割に大した故障もなく過ごしてきたものの、9年目にスターターボタンが脱落、部品の手配をするも欠品。何とか手に入れ安堵したものの、11年目にはハンドルを切るとウインカーが点滅せず....配線コネクタにさび発生。これも、なんとかしたもののその2箇月後に自宅すぐ横で立ちゴケ風転倒。引き起こしに大変な労力を使う....ここで、ふと思い浮かんだ事.... 自宅の事情で、毎回帰還ごとに相当の体力を使っている事、車体の経年変化による劣化、パーツの欠品が出てきた-つまり今後の維持のことを考えると、乗り換えの時期なんだと決意したのでした。もっとも自宅の構造が普通であれば主要部品が欠品になるまで乗り続けたかったが、何と言っても趣味の乗り物「安全性」や「楽さ」を考えないとね。 このGPZ、今までのバイクの中で所有期間が最長でした。それだけに手放す事はとても淋しく思います。多くの想い出を与えてくれてありがとう! |
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